2018-05-01
エミールプロ家庭教師が、生徒さんへの思いや仕事への姿勢を綴ったコラムです。
是非、ご一読ください。
「教師は抜かれるためにある」
「後生畏るべし」という慣用句があります。意味は、「後から生まれた後輩や弟子は、今後どれほど向上・発展するか計り知れないので、畏れるに値する」です。これは『論語』の言葉ですが、かの孔子大先生さえも後から生まれた後輩や弟子たちの成長に目を見張り、畏れたのでしょう。教師は「先生」、すなわち「先に生まれた人」に過ぎないのです。
私も含め、プロ家庭教師の中にノーベル賞やフィールズ賞(数学のノーベル賞に相当するもの)の受賞者は、残念ながら一人もいません。しかし、生徒の中からは受賞者が出てきてもおかしくはありません。ノーベル賞・フィールズ賞とまではいかなくても、世の中には様々な賞が存在します。そして、未来の受賞者は他ならぬ生徒なのです。別に表彰を受けることだけが人生ではありませんが、周囲の大人たちが気を付けなければならないのは、生徒の潜在性・可能性の芽を摘み取ってしまうことです。家庭教師や学校・塾・予備校の先生は神様でも聖人でもありません。生徒が大人になれば、同じ土俵で評価される存在でもあるのです。その意味では、教師は「生徒に追い抜かれるためにある」と言えます。毎年数多くの東大合格者を出す高校の先生が、必ずしも東大卒業生ではなかったり、オリンピックの金メダリストの監督やコーチが、必ずしも過去の金メダリストではなかったりするのも同じことです。
家庭教師は生徒に接するに当たって、数学指導・国語指導などの道具を持っています。ただ、これらは生徒に考えさせる材料を提供するネタに過ぎません。生徒の素朴な質問は、時として非常に恐ろしいものになりえます。たとえば、受験生にとっては日常的且つ大きな存在である偏差値について「どうやって求めるの?」と尋ねられた場合、小・中学生でもわかるように説明できる教師はおそらくいないでしょう。なぜなら、偏差値の算出方法の説明には高校数学ばかりでなく、大学数学の知識まで必要だからです。もっとも、「受験者全員の点数を求めて標準偏差を算出し、その基礎データを基に…」といった難しい言葉を羅列して逃げることもできます。しかし、この質問をきっかけに生徒が「統計数学」に興味を持つようになれば、それは素晴らしいことだと思います。
可能性の芽を育てる先生がいます。 エミールの家庭教師
是非、ご一読ください。
「教師は抜かれるためにある」
「後生畏るべし」という慣用句があります。意味は、「後から生まれた後輩や弟子は、今後どれほど向上・発展するか計り知れないので、畏れるに値する」です。これは『論語』の言葉ですが、かの孔子大先生さえも後から生まれた後輩や弟子たちの成長に目を見張り、畏れたのでしょう。教師は「先生」、すなわち「先に生まれた人」に過ぎないのです。
私も含め、プロ家庭教師の中にノーベル賞やフィールズ賞(数学のノーベル賞に相当するもの)の受賞者は、残念ながら一人もいません。しかし、生徒の中からは受賞者が出てきてもおかしくはありません。ノーベル賞・フィールズ賞とまではいかなくても、世の中には様々な賞が存在します。そして、未来の受賞者は他ならぬ生徒なのです。別に表彰を受けることだけが人生ではありませんが、周囲の大人たちが気を付けなければならないのは、生徒の潜在性・可能性の芽を摘み取ってしまうことです。家庭教師や学校・塾・予備校の先生は神様でも聖人でもありません。生徒が大人になれば、同じ土俵で評価される存在でもあるのです。その意味では、教師は「生徒に追い抜かれるためにある」と言えます。毎年数多くの東大合格者を出す高校の先生が、必ずしも東大卒業生ではなかったり、オリンピックの金メダリストの監督やコーチが、必ずしも過去の金メダリストではなかったりするのも同じことです。
家庭教師は生徒に接するに当たって、数学指導・国語指導などの道具を持っています。ただ、これらは生徒に考えさせる材料を提供するネタに過ぎません。生徒の素朴な質問は、時として非常に恐ろしいものになりえます。たとえば、受験生にとっては日常的且つ大きな存在である偏差値について「どうやって求めるの?」と尋ねられた場合、小・中学生でもわかるように説明できる教師はおそらくいないでしょう。なぜなら、偏差値の算出方法の説明には高校数学ばかりでなく、大学数学の知識まで必要だからです。もっとも、「受験者全員の点数を求めて標準偏差を算出し、その基礎データを基に…」といった難しい言葉を羅列して逃げることもできます。しかし、この質問をきっかけに生徒が「統計数学」に興味を持つようになれば、それは素晴らしいことだと思います。
可能性の芽を育てる先生がいます。 エミールの家庭教師